義父が亡くなった

義父が亡くなった。
日帰りで会いに行ってから4日後だった。

朝、職場に着いた私に主人から連絡があり、
その死を知らされた。
ついにその時が来たのだと思った。

私たち家族はみな午前中に職場や学校から引き揚げ、
午後、義父が眠る葬儀場の安置部屋に向かった。
外は雪が降り始め、道中を心配したが、
無事に着くことができた。

旅館の一室のような部屋で、
義父は眠っていた。
顔には白い布がかけられ、胸には刀が乗せられていた。
義母が布をとった。

その顔はあまりにも小さくて、白くて、
「これは義父ではない」という思いがした。
私の祖父のときもそうだった。
「これは祖父ではない」
今回も同じ思いだった。

かつて、その人であったもの。
命の失くなった体は、蝋人形のようにみえる。

まるで底に引っ張られたような肌には、しわひとつない。
老いをあらわしていた皮膚のその柔らかさは完全に消えている。
義父は、遠い遠いところに行ってしまったことがわかった。

次の日の夜、通夜は行わず、
私達息子家族と、義父の兄弟だけが部屋に集った。

葬儀施設の「おくりびと」が義父の清拭をしている間、
私達は別室で待った。
義父が結婚のときに母からもらったという紺地の着物を着せられ、
再び私たちの前に横たえられたとき、
義母が
「どうして、どうして、目を開けな。どうして逝っちゃったの」
と声をあげて泣いた。
私達もたまらなかった。

死という別れは圧倒的に重い。
悲しみは一方的で、
決して死者に届くことはない。
どんな言葉も、どんな働きかけも、
もう何も受け止めてもらえない絶望。

これを体験しなければならない人間とは
どこまでも可哀そうな生き物だと思う。

翌日の葬儀の中、出棺のとき、燃やされる直前、
義母は泣き、私たち親族も泣いた。

1時間半で義父は焼かれ、骨になった。
家に祭壇が飾られ、写真とお骨がそこに置かれた。

帰省するといつもの居間に、黙って座っていた義父。
帰りには、ネギやジャガイモ、キュウリ、かぼちゃ、
もう車に載せきれないというほどの野菜を持たせてくれた義父。

寡黙で、軽口をたたかない、
昔気質の義父だった。
病気がわかってからも、弱音を吐くことなく、
最後まで義母の心配をしていたという。

その義父はもういない。
帰省してもあの場所に座る義父には会えないと思うと、
やっぱりさみしい。